「being」
― 「らしく在る」ための、余白。―

在り方。
どうあるか。
どうありたいか。
その答えはきっと、
外側のどこかにあるものではなくて、
いつだって、自分自身の内側にある。
夏休み前の私は、
ずっと何かが足りないような気がして
たくさんのインプットをしていました。
知らなかったことを知って、
新しい考え方に触れて、
たくさんの言葉を受け取って。
そのたびに、
少し強くなったような、
少し前へ進んだような、
そんな気持ちになっていました。
でも、ふと気がついたのです。
知っていることは増えたのかもしれないけれど、
私は、本当に変わったのだろうか。
たくさんのことを知って、たくさんの言葉を持って。
それだけで、
少し頭でっかちになっていただけなのかもしれない。
現実は、
知っただけでは変わらない。
私自身も、
知っただけでは変わらない。
むしろ様々な情報で、余計にわからなくなっていて…。
夏休みに入る頃、
そんな現実を変えたくて
意識的な手放しや、挑戦をする夏休みにしようと決めていました。
シングルマザーが3人の子どもたちを抱えて、
一緒に走る夏休み。
今までは、毎日をこなす事に必死で、
いつもの日常をいつも通りに処理するだけ。
何時に起きて、
ご飯はこんなものを何時に食べて、
何時に寝かせて。
毎日宿題の進み具合を気にかけて…
ルーティーンを崩す事なく、
ただこなすことが正しいかのように。
でも、
夏休みだからこそ夜更かししたり、
時間的制限がないからこそ冒険してみたり、
盛大にお菓子パーティーをしてみたり、
みんなで時間を忘れて制作してみたり
1人で3人連れては行けないと思っていた場所に
行ってみたり。
宿題も本人任せ…
そんな風に、母業の「チャントやる」を
少しだけ意識して、手放してみたり。
それから、
今まで、あまりやってこなかった
頼ってみるということをやってみたり、
できないと決めつけていたことを、
とりあえずやってみることにしました。
挑戦をたくさんして、
手放すことを意識した夏休みの中で、
子どもたちを見ていて、気づいたことがあります。
まずは、母として握りしめていた
「役割」のようなものを手放した時、
子どもたちはとても自然に
出来ることが増えました。
きっと、「しなければならない」を、
自分だけではなく、子どもたちにも
がんじがらめにしていただけだったのかもしれないと…
そして、子どもたちは
インプットしたものを、驚くほど自然に外へ出していく。
感じたら、やってみる。
面白そうなら、動いてみる。
思いついたら、つくってみる。
その間に、ほとんど迷いがない。
とても軽やかにやってのけてしまう。
なのに大人になると、
どういうわけか、
何かを表現するだけでも、
「エイヤー!!」
と、ちょっとした勇気が必要になったりする。笑
腰が重くて、
とにかく頭の中でこねくり回してみたりして。
いつから、
こんなに難しくなったんだろう。
こんなにも重くなってしまったんだろう。
間違っていたらどうしよう。
どう思われるだろう。
もう少し知ってから。
もう少し準備してから。
ちゃんと出来るように。
整えて完成してから…と。
そんなことを考えているうちに、
内側から生まれたものを、
外へ出すまでの間に、
いつの間にか、いくつもの壁をつくってしまう。
とてつもない労力と時間をかけて
出す頃には、疲弊しきっていたりして…
でもきっと人は、
知ることだけではなく、
アウトプットを繰り返していく中で、
少しずつ変わっていくのだと思うのです。
知ったことを、自分なりにやってみる。
感じたことを、言葉にしてみる。
行ってみる。
会ってみる。
作ってみる。
伝えてみる。
頭の中にあるものを、自分の外側へ出してみる。
ほんの少しだっていい。
失敗したっていい。
失敗だと思えたことは、
きっと正解への道を照らす光になるから。
だからここからは、
インプットすること以上に、
意識して、動いてみようと思っています。
何かを変えたいのなら。
まずは、自分自身から。
自分の内側にある声に
耳を澄ませてみる。
「私は、本当はどうしたい?」
そして聞こえてきたなら、
とりあえず、動いてみる。
それが正解なのか、
間違っているのかなんて、
そのときには、
きっと誰にもわからない。
だったら、
選んだ道を正解にしていくのは、
自分自身なのだと思う。
もちろん、
自分ひとりで生きているわけではないから、
周りの人と調和していくことも、とても大切。
だけど、
“調和する”ということと、
自分の内側から聞こえてくる声を
なかったことにすることは、きっと、違う。
誰かに合わせて。
その場に合わせて。
波風が立たないように。
そうやって一見、
綺麗に調和しているように見えても、
自分の内側では、
ずっと違う音が鳴っているのなら、
それはきっとどこかに無理があるということ。
「こうでなければならない」
「こうあるべき」
「こうしなければ」
いつからか握りしめていた、
自分自身への、外側からの呪縛。
それをひとつずつ手放していったら、
その奥でずっと鳴っていた、
自分自身の本当の音が聞こえてくるのかもしれない。
本音。
本当の、音。
自分自身の、本当の音。
小さくても。
誰かとは違っていても。
少し不恰好でも。
その音を消して、
周りと同じ音を奏でることが、
調和なのではなくて。
それぞれが、
自分の本当の音を鳴らして、
違う音と出会い、
重なっていく。
そんなハーモニーが、
もしかしたら
本当の「調和」なのかもしれない。
あなたの本当の音は、
どんな音色ですか?
なんと言っていますか?
私は…。
ママであっても、
何歳になっても、
オシャレをしていたい。
特別なお出かけの予定なんてなくても、
ただ、「好き」と感じるものを身につけたい。
そして私は、
糸から生まれる刺繍の草花を、
これからも咲かせ続けたい。
一針、一針。
糸を重ねて、小さな草花をつくっているとき。
私はそこで、
私らしさの花も、一緒に咲かせているのだと思います。
そして、
そんな私のままで、人と繋がっていきたい。
誰かになるのではなく。
誰かの正解に、自分を合わせるのでもなく。
私は私の音を鳴らして、
あなたはあなたの音を鳴らして。
それぞれの音が出会ったところに、
新しい何かが生まれていったらいい。
だから今は、
たくさん取り入れることよりも、
自分の中にあるものを、
外へ出していくことを意識したいと思います。
そして、
新しいものを取り入れるために、
握りしめているものを、少しずつ手放していく…。
取り入れて。
自分の中を通って。
外へ出して。
そしてまた、新しいものが入ってくる。
インプットと、
アウトプット。
手に入れることと、
手放すこと。
どちらか一方ではなくて、
滞らせることなく、巡らせていく。
吸って。
吐いて。
そしてまた、吸う。
呼吸と呼吸の間にある、
ほんの小さな余白…。
私はきっと、
そんな「あわい」に、花を咲かせたい。
何かにならなければ、と力を入れる場所ではなくて。
「こうあるべき」と握りしめていたものを、
ほんの少し、緩められるような場所に。
「こうありたい」と願う人のそばに。
∗atelier eni∗の草花を咲かせたい。
光と影のあわいに、
小さな草花が芽吹くように…。
私と誰かの間にも、
それぞれが、それぞれのままでいられる余白を。
私は、私の糸で。
あなたは、あなたの糸で。
誰かと同じ模様を織らなくていい。
それぞれの「らしさ」のまま出会い、
重なったところに生まれるものを、大切にする。
∗atelier eni∗は、
「らしく在る」ための、
小さな余白でありたい。
どうするか、よりも。
まずは、どう在るか。
Being.
今日も、
自分の内側に耳を澄ませながら。
私の、本当の音を聴くために
ひと針ひと針…
∗atelier eni 180∗
﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍
立体手刺繍アクセサリー
atelier eni の作品は
オンラインショップでもご覧いただけます。
刺繍から生まれた草花たちを
お届けしていますꕤ

