「十六夜のように。」
― 満ちた、その先から。―

9月25日は、十五夜。
旧暦の8月15日にあたる、
中秋の名月。
秋の実りに感謝しながら、
一年の中でも美しい月を愛でる夜。
そして10月23日は、十三夜。
旧暦の9月13日にあたり、
こちらもまた、
収穫に感謝しながら月を愛でる日。
昔から、
十五夜と十三夜は
どちらも大切にされてきて、
どちらか一方だけを見ることを
「片見月」と呼ぶのだそう。
そんな月の話を眺めながら、
私がなぜだか惹かれたのは、
そのどちらでもない月だった。
旧暦の16日の月。
「十六夜」。
いざよい、と読む。
「いざよう」とは、
ためらうこと。
躊躇すること。
十五夜の翌日、
月の出は前の日より少し遅くなる。
その姿を昔の人は、
まるで月が、
空へ昇ることをためらっているようだと
見立てたという。
なんて美しい見方なんだろう。
少し遅れて出てくる月を、
「遅い」とは言わず、
「ためらっている」と見つめる。
そんな日本語が、私は好きだ。
そして、
「16」という数字には、
昔から不思議と縁がある。
私自身が、
16日生まれだということ。
そして振り返ってみると、
人生の節目や
大切なところに、
なぜだか「16」という数字が
現れることが多かった。
だからいつからか、
16は私にとって
「キーナンバー」のような数字になった。
そんな私が、
旧暦の16日の月を
「十六夜」と呼ぶことを知ったとき、
なんだか他人事には
思えなかった。
ためらいながら、
少し遅れて昇ってくる月。
あぁ、
なんだか私みたいだな、と。
私はずっと、
まだ、そのときではない。
そんなふうに感じていた。
外へ出ていくことをためらって、
人と会うことを避けて、
自分の小さな世界の中に引きこもっていた。
誰かが軽やかに進んでいるときも、
誰かがどんどん
新しい世界へ飛び出していくときも、
私はその姿を遠くから眺めていた。
行きたい気持ちは、きっとあった。
だけど、まだ、今じゃない。
そんな感覚が
どこかにずっとあった。
だから私は、
ためらって、
ためらって、
随分と長い時間を自分の内側で過ごした。
そして今、あの時間は、
飛び出すための力を
溜めていた時間でもあったのだと思う。
たくさん引きこもって。
たくさん立ち止まって。
自分の中に、少しずつ力を蓄えて。
そうして今、私はようやく、
外の世界へ
飛び出し始めている。
たぶん、少し遅れて。
十六夜の月のように。
でも、
遅れて昇った月だからこそ
見える景色もあるのかもしれない。
私は私のタイミングで、
今、昇り始めたところなのだと思う。
十六夜には、
「既望(きぼう)」という
別の呼び名もある。
その二文字を見たとき、
またいつものように、
日本語で遊びたくなった。
「既に、望む」。
ここからは、私なりの解釈。
まだ叶っていないものを、
「いつか叶いますように」
と遠くから望むのではなくて。
もう既に、望みが叶った私でいる。
何かを手に入れたら、
満たされるのではなく、
既に満たされた私として、
今日を生きる。
欲しいものを手にしたら、幸せになる。
夢が叶ったら、自信を持つ。
誰かに認められたら、私を認める。
ずっと私は、
「何かが起きたあとの私」に
なろうとしてきたような気がする。
でも本当は、
順番が逆なのかもしれない。
叶ったら、そうなるのではなくて。
まず、既に叶った私でいる。
既に満たされた私でいる。
その私が、今日を選ぶ。
その私が、人と出逢う。
その私が、一歩を踏み出す。
そうしてあとから、
現実のほうが
少しずつ追いついてくる。
十六夜は、
まだ満ちていないから
遅れている月ではない。
満ちた、
その先にある月。
そう思ったら、
少しくらい、
ためらってもいいような気がした。
ためらいの中にも
独特な美しさがあるような気さえする。
誰かより遅くてもいい。
立ち止まってもいい。
すぐに答えが出なくてもいい。
私には、私の時間がある。
ためらいながらでも、
私は私の時間で、
空へ昇ればいい。
そして、
もう満たされていることを
忘れずにいたい。
∗atelier eni∗の草花も、
きっと同じ。
何かが足りないから、咲かせるのではなくて。
私の中に、既にあるもの。
見てきた景色。
出逢ってきた人。
嬉しかったことも、
悲しかったことも。
これまでに結ばれてきた、
たくさんのご縁も。
既に私の中にあるものを、
針と糸を通して、
ひと針、またひと針、
小さな草花へと変えていく。
本物の草花には、
それぞれに咲く季節がある。
そして、
∗atelier eni∗の草花にも、
eniの世界で咲く季節がある。
春だから、この花を。
秋だから、この色を。
そんなふうに
季節に合わせてだけ咲かせることに拘らず、
その草花に出逢ったとき、
今、この花を咲かせたいと思ったとき。
それがきっと、
eniの世界でのその花の季節。
「いつか」のために
咲かせるのではなくて。
満ちた、その先にいる私から、
今日の一輪を…。
少しためらいながらでも。
誰かより、少し遅くても。
十六夜の月のように。
既に満たされた私で、
私の時間で、昇っていく。
……と、
ここまで書いて気がついた。
今年の十六夜は、9月26日。
十六夜について書くことさえ、
私は一ヶ月近くも「いざよって」いたらしい。
ちょっと、
ためらいすぎたかもしれない。
でも、遅咲きの私だからこそ、
見える景色があって。
遅咲きの私だからこそ、
咲かせられる花がある。
少し遅れて昇る、
十六夜の月のように。
私にしか咲かせられない草花を、
今日も、
eniの世界に咲かせていきます。
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