「時の向こうに置いてきた光」
― 私に還る ―
光の記憶
秋の始まり。
風の音がやわらいで、
光が少し低い角度から
差し込んでいた。
葉の隙間をくぐる光が、
ゆらりと床を撫でていく。
そのやわらかさの中で、
私は久しぶりに
“息をしている”という感覚を
思い出していた。
何かをしなくても、
何者かでいなくても、
ただ、ここに在るだけでいい。
そんな気配が、
静かに部屋を満たしていた。
解けていく手
心の奥で、
何かが、
ほどけていく音がした。
ずっと、掴んでいた。
失わないように、
こぼれ落ちないように、
強く、強く。
握り締めていた。
けれど、
そっと手を開いた瞬間、
そこには何もなかった。
そして同時に、
すべてが在った。
何も持たないことが、
こんなにもやさしいなんて、
私は知らなかった。
全て持つことが、
優しさだと思っていたのに…。
今という静けさ
満ちるでもなく。
欠けるでもなく。
ただ、
“今”という静けさの中を、
光が通り抜けていく。
音も、色も
意味も、理由もなく。
それでも確かに、
そこに在る。
私はその静けさの中で、
何かを探すことをやめ、
ただ、眺めていた。
見えない光
そして夜。
空は、新月になった。
光は、見えなかった。
月の形も、
輪郭も。
けれど、
そこにあることだけは、
わかっていた。
まるで、
時の向こうに置いてきた
温もりのように。
目には映らなくても、
確かにこの世界のどこかで、
息をしているもの。
見えないからこそ、
信じるしかない光。
それは、
私の中にもあった。
私に還る
落ちて、着いて。
私はやっと、
自分に還った。
何かを成したからでも、
何者かになれたからでもなく、
ただ、
戻ってきただけ。
でも、それでいいの。
「おかえりなさい。」
その瞬間、
∗atelier eni∗ の世界が、
またひとつ、
静かに、
そして確かに
息をしました。

∗atelier eni 94∗
