「刺繍」
― 光を描く針の音―
静けさの中で咲く
針を持ち、
布にそっと触れる。
その瞬間、
世界の音が遠ざかり、
自分の中に静かな海が
広がっていく。
糸を選び、重ね、
刺していくたびに、
光が少しずつ形を変えながら、
新しい花の息づかいを
見せてくれる。
糸が奏でる調和
色の重なり、糸の本数、
そして透け感――。
どのひと針にも、
花の表情を決める
“呼吸”が宿っている。
裏側の糸の流れにまで気を配り、
糸端の処理ひとつにも
想いを込めて。
お花に合わせて、
技法も手法も変えていく。
どれもその花がいちばん
心地よく咲けるように、
針先でそっと
風向きを整えていくような作業。
色が揺らぐ瞬間
色を選ぶとき、
私はいつも
“滲み”を思い浮かべます。
1色ではなく、
いくつもの色が重なり、
境界がゆっくりと溶けあっていく
あのじゅわっとした広がり…
淡い色をのせた上に、
ほんの少しだけ強い色を重ねると、
糸の奥からふわりと
温度が立ち上がり、
花びらのカーブに沿って
柔らかな影が生まれる。
ただ明るいだけではなく、
ただ濃いだけでもなく、
その中間に揺れる
“たゆたう色”が好き。
グラデーションは
塗るのではなく、
滲み出すようにして
現れてほしい。
糸を撚り、角度を変え、
光の入り方を確かめながら、
色の境目が
自然にほどけていく場所を探す。
そして、
ときどき糸が放つ
艶の強さに救われる。
淡いだけでは届かない深さ、
柔らかいだけでは起きないアクセント。
そのわずかな艶が、
花に芯をもたらし、
世界を少しだけ
凛とさせてくれる。
色とは、
静かに揺れる花の
“温度”のようなもの。
だから今日も、
糸箱の中に眠る色たちと対話しながら、
その日の光に合う
ひとしずくを選んでいく。
縁を結ぶステッチ
仕上げに、
縁をかがるようにステッチを入れ、
ワイヤーと刺繍をやさしく固定する。
その線は、
見えない糸で世界と結ばれる境界線。
花がほどけてしまわないように、
けれど、
閉じ込めてしまわないように。
おめかしの瞬間
最後に少しだけ、
ビーズやスパンコールで装いを纏う。
とびきりのおめかしをすることもあれば、
あえてナチュラルなままの姿に
することもある。
それは、
平面の中に宿る
“とびきりの咲き方”。
ひと針ひと針の音が、
静けさを縫い合わせ、
花が息をするように、
世界がまたひとつ咲いていく。
立ち上がる予感
その瞬間を思い描きながら、
針を進める。
まだ平面に眠る花が、
いつかふわりと立ち上がる日を夢見て――
私は今日も、そっと糸を紡いでいます。

∗atelier eni 40∗

