「余白に、舞い込むもの。」
― 奇跡は、軌跡の途中に。―
私の周りでは、よく奇跡のようなことが起こります。
ほんの小さくて地味なラッキーから、
「どうしてこんなことが?」と思うような出来事まで。
カタチは様々だけれど、
不思議なくらい、よく起こるのです。
そして時々、
「どうしたら、そんなことが起こるの?」
と聞かれることがあります。
もちろん、私にも本当のところはわかりません。
ただ最近、ひとつ思うことがあります。
もしかしたら、
足りないからこそ、奇跡は起こるのかもしれない。
私は、名もなき走り出しの刺繍作家です。
3人のコビトさんたちと暮らすシングルマザーで、
お金も、時間も、手の本数も、いつだって足りない。
足りないことを数えれば、きっといくらでもあります。
だけど。
手が足りないから、誰かが手を差し伸べてくれたことがありました。
そこから思いがけないご縁が生まれたり、
誰かの優しさに触れたり、
自分ひとりでは辿り着けなかった場所へ、連れていってもらえたり。
そんなことが、これまで何度もありました。
「足りていない」と思うのか。
それとも、そこに「余白がある」と思うのか。
同じ景色でも、そのふたつは随分違う気がしています。
何もかも自分で埋めて、
ひとりで完成させてしまったら、
誰かが入り込む場所も、
何かが舞い込んでくる隙間も、
なくなってしまうのかもしれません。
だから今の私は、
足すことよりも、削ぎ落とすこと。
握りしめることよりも、手放すこと。
そんなことを意識するようになりました。
この夏は、とにかくよく走りました。
これまでと同じ場所に立っているだけでは、
見えない景色があるような気がして…。
やったことのないことをやって、
行ったことのない場所へ行って、
会ったことのない人に会う。
時には、何が待っているのかもわからないまま、
目隠しでバンジージャンプをするように飛び込んだこともありました。
そうして見えた景色や、
繋がれた人、
聞くことのできた言葉は、
それまで自分が持っていた「当たり前」の世界を、
いとも簡単にひっくり返していきました。
便利で、簡単で、
温度を持たなくても生きられるようになった世界の中で、
ちゃんと自分の足で動いて、
全力で味わって、感じる。
そうして感覚を研ぎ澄ませていると、
ずっとそこにあった小さな豊かさにも、
少しずつ気づけるようになります。
そして私は、
奇跡は当たり前に起こるものだと、
わりと本気で信じています。
奇跡を信じていると、
不思議と、奇跡のカケラを探すようになる。
人の脳は、自分にとって必要だと思うものを、
たくさんの情報の中から拾い上げています。
反対に、
「そんなこと、起こるわけがない」と決めてしまえば、
たとえ目の前にそのカケラがあったとしても、
必要のないものとして見過ごしてしまうのかもしれません。
だったら私は、
「奇跡は起こる」と設定しておきたい。
誰かがくれた何気ない言葉。
偶然繋がったご縁。
なぜか気になる場所。
ふいに目の前へやってきた、よくわからない話。
その中にある小さなカケラを、
ちゃんと見つけられる自分でいたいのです。
でも。
見つけるだけでは、きっと何も起こらない。
信じて待っているだけでも、
世界はそんなに都合よく動いてはくれません。
最後は、自分で動く。
そして私の場合、
「こっちかもしれない」と感じる時には、
なぜかいつも、共通する感覚があります。
なんだか、よくわからない。
×
「こっわ‼︎」
コレです。笑
先が見えなくて、
やったこともなくて、
どうなるのかもわからない。
なのに、なぜか気になる…。
そんな時に目の前を通り過ぎようとしている、
チャンスの神様のたった3本しかないという前髪を、
「えいっ!!」と掴んでしまう。
たぶん私は、これを衝動的に反射的にやってしまうのだと思います。
そしてそのまま、
よくわからない世界へ飛び込んでみる。
するとその先で、
思いもよらない人と繋がったり、
見たことのない景色に出会ったり、
また次の何かが始まったりする。
後から振り返ってみると、
それが「奇跡」と呼びたくなるような出来事になっている。
だから私にとって奇跡は、
ただ空から降ってくるものではなくて。
余白を残して、
そのカケラに気づいて、
怖くても自分で一歩を出して。
そうして歩いてきた軌跡の途中に、
ふっと現れるものなのかもしれません。
そして、もうひとつ。
奇跡のような出来事は、
いつも「良いこと」と呼ばれる姿だけでやってくるわけではないとも思っています。
どうしてこんなことが起こるんだろう、と
空を仰ぎたくなるようなこともある。
幸運と、不運。
そのどちらも、
振り子のように行ったり来たりしながら、
どこかでバランスをとっているような感覚が、私にはあります。
だから私は、
片側に大きく振れたままで、
ずっと終わることはないような気がしている。
きっとまた、振り子は動く。
それはもしかしたら、
私が奇跡を信じていられる、
いちばん大きな理由なのかもしれません。
足りなくてもいい。
何もないくらいでも、案外いい。
できる限り自分を整えて、
余白を残して、
ちゃんと感じられる自分でいる。
きちんと対処できる自分である。
そして、目の前に現れた小さな幸運のカケラを、
自分の手で掴みにいく。
……とはいえ。
「なんだかよくわからない × こっわ‼︎」が正解だなんて、
冷静に考えたら、だいぶ危ない気もするので…笑
あまり周りには話していません。
真似して何かあっても困るので、
ここだけの内緒ということで♡
そんなふうに、
足りないまま、余白を残して、
たくさんのご縁や出来事に揺られながら暮らしている私が、
今日も小さな針を持って、
草花を刺繍しています。
自然の中にある草花も、
同じ姿のものはひとつとしてなくて。
まっすぐなものもあれば、
少し曲がったものもある。
欠けていたり、揺れていたり、
光の当たり方ひとつで、見え方まで変わっていく。
それでも、それぞれの姿でそこに在る。
そんな草花をひと針ずつ縫いながら、
私自身もまた、
足りないところを無理に埋めなくていいのだと、
教えてもらっているのかもしれません。
奇跡が入り込めるくらいの余白を、
ほんの少し残したままで…。
そんな私の手から生まれる、
∗atelier eni∗の草花アクセサリーです。

∗atelier eni 185∗
﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍
立体手刺繍アクセサリー
atelier eni の作品は
オンラインショップでもご覧いただけます。
刺繍から生まれた草花たちを
お届けしていますꕤ
