「目から、未来を選ぶ。」
― 私は、どんな世界を見ていたい?―

「目は、露出した脳」
そんなふうに表現されることがあります。
私たちは、
目からたくさんの情報を受け取って、
考えたり、感じたり、反応したりしています。
だとしたら…。
見え方が変われば、
世界の感じ方も、少しだけ変わるのかもしれない。
チャクラグラスをかけながら
自分自身の「見る」を実験してきた私は、
そんなことを考えるようになりました。
私は昔から、とても目が良い人でした。
だから、
「見えることは、良いこと」だと思っていました。
視力検査では、
より小さなものまで見えた方がいい。
メガネを作るなら、
見えなかったものが
くっきり見えるようになった方がいい。
それが当たり前だと思っていたのです。
でも。
本当に、見えれば見えるほど良いのでしょうか。
私は、
よく見えているからこそ疲れることがあります。
周りの情報を拾いすぎてしまう。
見なくてもいいものまで、目に入っては考えてしまう。
それも無意識レベルで。
それなら、
その人にとっての「ちょうどいい見え方」が、
それぞれにあってもいいのではないか。
そんなふうに思うようになりました。
もしかすると、
「見えない」ということにも、
何か意味があるのかもしれません。
見たくないものを、
見なくて済むように。
必要のないものまで、
受け取らなくて済むように。
もちろんこれは、
医学的な意味でのお話ではなく、
私自身が「見る」ということと向き合う中で感じたこと。
一般的な基準から見れば、
「目が悪い」と表現されてきた見え方も、
その人自身の軸で見てみたら、
「見えすぎない」世界が、心地いい。
ということだって、あるのかもしれない。
今までは、
「見えるようにする」
ということが、当たり前だったけれど。
いろいろな人がいて、
いろいろな感じ方がある今なら、
あえて、見えすぎないことを選ぶ。
そんな選択肢があってもいいのかもしれません。
たとえば、
遠くまで全部くっきり見えることよりも、
手元はよく見えて、
遠くは少しぼんやりしている。
そのくらいの世界が、自分には心地いい。
そう感じるなら、
その距離感を大切にしたメガネを作る。
チャクラグラスでは、そんな選び方もできるようです。
一般的な基準に自分を合わせるのではなく、
私は、どのくらいの距離で
世界と繋がっていたいのだろう…。
そこから考えていく。
私にとってそれは、
「基準に合わせるメガネ」ではなく、
『自分軸でつくるメガネ』のように感じました。
そして、
チャクラグラス制作会そのものも、
私にとって、とても不思議な時間でした。
代表の與良だいちさんに伴走していただきながら、
「私はどう感じる?」
「これは心地いい?」
「こっちはどお?」
と、誰かに答えを教えてもらうのではなく、
私が私自身を知っていく。
そんな時間。
そしてチャクラグラスには、
もうひとつ大きな特徴があります。
自分が必要だと感じる「色」を、
レンズに入れることができること。
これは、
単純に「好きな色を選ぶ」という感覚とも少し違いました。
8色のカラー。
そして、それぞれの色の濃さ。
色を入れない、という選択もできます。
私は制作会へ行く前に、
「たぶん私は、白か紫を選ぶんじゃないかな」
と、なんとなく予想していました。
そして制作会では、
片っ端から、すべてのカラーをかけてみました。
ひとつ、かける。
私は、どう感じる?
外す。
また違う色をかける。
これは、どう?
明るい?
落ち着く?
眩しい?
なんとなく嫌?
なんとなく、好き?
頭で考えるのではなく、
ひたすら自分の感覚に
耳を澄ませていきます。
すると、
色によって、感じ方が全然違う。
同じ場所にいて、
同じものを見ているはずなのに、
目から入ってくる色が少し変わるだけで、
こんなにも感じ方が変わるのか…。
目から受け取る情報が
自分に与えている影響の大きさを、
身をもって感じる体験でした。
そうして最後に残ったのは、2色。
ひとつは、予想していた通りの白でした。
白をかけると、とってもしっくりくる。
何の違和感もない。
いつも通りの視界。
いつも通りの私。
だから私は、「これは、“今”の私なのかもしれない」と感じました。
でも。
最終的に私が選んだのは、オレンジ色。
なぜなのか、うまく説明はできませんでした。
ただ、「こっちだ」と思った。
今の私というより、“これからの私に必要”。
そんな感覚があったのです。
チャクラグラスでは、
それぞれの色にテーマがあるとされています。
オレンジ色は、第2チャクラ。
テーマには、
「喜び」
「楽しさ」
「本当の私」
「魅力」
「創造力」
などがあり、自分の感覚や感情に素直になることや、
自分を後回しにしないことなども
キーワードとして挙げられていました。
それを見て、「えっ……」となりました。
まさに、
これから自分が向き合おうとしていたこと。
今の自分に足りないと感じていたこと。
そして偶然にも、身体についても、
少し前に整体で
「ここを鍛えた方がいいよ」と
言われたばかりの場所と重なっていました。
なんだかもう、占いみたい。笑
もちろん、
色の意味をどう捉えるかは人それぞれだと思います。
でも私にとって何より面白かったのは、
その意味を知る前に、
自分の感覚がオレンジを選んでいたこと。
オレンジ色の世界を見た時、
何か自分に足りなかったものが少しだけ補われるような、
そんな感覚があったのです。
そして、
「心地よい色」は、本当に人それぞれでした。
我が家の真ん中コビトさんも、
私と同じように斜位があります。
学校の眼科検診をきっかけに改めて目を診てもらい、
今回、一緒にチャクラグラスを作ることにしました。
コビトさんが選んだ色は、黄色。
しかも、かなり濃い黄色。
これが、面白かった。
私がその黄色をかけると、眩しくて目が開けていられないほど。
なのに、
コビトさんにとっては、その黄色が心地いい。
同じ場所にいて。
同じ景色を見て。
親子であっても。
こんなにも、心地よい世界は違う。
当たり前のことなのかもしれないけれど、
私はそのことを、レンズ越しに改めて体感しました。
それから、お洒落なフレームがたくさん用意されていて、
「自分の好きなメガネ」として選べるのも、
嬉しいところでした。
3回にわたって、
ずいぶん熱く
チャクラグラスについて書いてきました。
ちなみに私は、決してチャクラグラスの回し者ではありません。笑
ただ、
「見る」という、あまりにも当たり前すぎて
今まで考えたこともなかったものを通して、
思いがけず、自分自身をたくさん知ることになった。
それが面白くて、
書き残しておきたかったのです。
そして皆さんにも、知ってほしかったのです。
チャクラグラスをかければ、
すべてが解決するわけでもない。
ずっとかけていればいいとも、
私は思っていません。
かける。外す。
近くを見る。遠くを見る。
広く見る。ひとつだけを見る。
その時の自分に合わせて、
「今日は、どう世界を見ようか」と選んでいく。
私の実験は、これからも続いていきます。
そして最後に。
チャクラグラスを通して
「見る」ということを考え続けた結果、
私はやっぱり、刺繍をしていたいと思いました。
世界を広く見渡せることも、
きっと私のひとつの力。
周りの変化に気づけることも、
人の気配を感じられることも、
全部なくしたいわけではありません。
でも、
ずっと外側ばかりを見ていたら、
私は疲れてしまう。
だから私は、針を持つ。
小さな一点に目を寄せる。
一針。また、一針…。
目の前の小さな世界だけを見つめて、
外側へ広がっていた意識を、
自分の中心へ戻していく。
私にとって刺繍は、
作品を生み出すためだけのものではなく、
私が、私に戻るための時間。
たくさん見える世界の中で、
何を見るのか。何を見ないのか。
どこに焦点を合わせるのか。
それを自分で選びながら、これからも私は、
小さな針先に、自分の世界を集めていきたい。
チャクラグラスを掛けて、前より少しだけ
楽に目を使いながら、集中して、
∗atelier eni∗の世界を一針ずつ、咲かせていこうと思います。

∗atelier eni 183∗
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