「ここにいるということ」
― あわいに咲く。―

誰かのためであることにしか、
私の価値はないんだと、
ずっと思い続けてきた。
誰かの役に立つこと。
誰かに必要とされること。
誰かを喜ばせること。
誰かのために頑張れる私でいることで、
ようやく自分がここにいていいような気がしていた。
だからきっと私は、
「誰かのために生きる」ということを
一生懸命に習ってきたのだと思う。
だけど最近、少し違うことを思う。
私は、
私を生きるために生まれてきたはずだ、と。
誰かのために自分を使い切るのではなく、
一生懸命に私を生きる。
私が見たいものを見て、
感じたいものを感じて、
やりたいことをやって。
泣いたり、笑ったり、
迷ったり、立ち止まったりしながら。
そうやって私が私を生きた先に、
結果として、
誰かへ届くものがあるのかもしれない。
そんな順番でも、
いいんじゃないかと思うようになった。
私はきっと、
この世界を「味わう」ためにここへ来た。
味わいに、ここへ来たんだと思う。
味わい尽くすために、ここにいる。
なんとなくだけれど、
きっと、とても平坦で、とても穏やかで、
ちょっとつまらない世界から
ここへ来たんじゃないかと思うことがある。
だからこんなにも、
山があって、谷がある。
出会うことも、
別れることも。
手にすることも、
失うことも。
愛することも、
傷つくことも。
きっと全部、ここでしか味わえない。
「あわい」という言葉が好きだ。
「あわい」に似た言葉に、
「あいだ(間)」がある。
「あいだ」は、
ふたつのものに挟まれた空間。
そこには、
こちらと、あちらがあって、
その間に少しの距離がある。
「あわい」は、少し違う。
「あわい」は「合う」から生まれた言葉で、
ふたつのものが重なり、
交わるところをいう。
この違いを知ったとき、
なんだかとても、
自分のことを言われているような気がした。
自分の輪郭を知るためには、
「間」という空間が必要だった。
誰かと少し離れてみること。
何かから距離をとって、
自分を外側から眺めてみること。
そうして初めて、
どこまでが誰かで、
どこからが私なのか。
私が何を好きで、
何を嫌だと思って、
何を大切にしたいのか。
少しずつ、
自分の輪郭が見えるようになった。
でも、
自分自身を知るためには、
「あわい」が必要だったように思う。
光と、影。
喜びと、悲しみ。
出会いと、別れ。
強さと、弱さ。
満ちることと、欠けること。
ひとりであることと、
誰かとつながること。
手放すことと、
抱きしめること。
どちらか一方を選んだときではなく、
そのふたつが重なり、
混ざり合うところに立ったとき、
「ああ、これも私なんだ」
と知ることができた。
私という輪郭をつくるためには、
誰かとの「間」が必要だった。
そして、
その輪郭の中にいる私が
どんな人間なのかを知るためには、
相反するものが重なり合う
「あわい」が必要だった。
だから私はきっと、
ずっと「あわい」にいる。
ここまでの人生で、
良かったと思うことも、
できることなら、
なかったことにしたかったこともある。
そのどちらかだけで
私ができているわけじゃない。
光だけでもなく、
影だけでもない。
全部が重なって、
今の私になった。
いつか、
ここまでの良いことも、
悪いと感じてきたことも、
全部ひっくるめて
「ああ、これが私の人生だった」と
抱きしめられたとき。
私は初めて、
ここにいるということの意味に
気づけるのかもしれない。
∗atelier eni∗の草花も、
きっと同じなのだと思う。
光だけの場所に
咲いているわけじゃない。
影だけの場所でもない。
光と影の、あわいに。
思いと、軽やかさの、あわいに。
現実と、空想の、あわいに。
私と、誰かの、あわいに。
針と糸で、
小さな草花を咲かせている。
私が一生懸命に、
私を生きること。
そこから生まれたものが、
誰かのところへ渡り、
その人の何かと重なったとき…。
またそこに、
新しい「あわい」が生まれる。
だから私は今日も、
そのあわいに立って、
草花を咲かせている。
私が、
ここにいるということを、
確かめるように。
∗atelier eni 188∗
﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍﹍
立体手刺繍アクセサリー
atelier eni の作品は
オンラインショップでもご覧いただけます。
刺繍から生まれた草花たちを
お届けしていますꕤ

